福音書の一節を思い出す
2022-08-01


これは呉智英さんの著書で知ったことなのだが、聖書(新約聖書)の福音書にはこういうことが書いてあるという。

わたし〓が来〓たの〓は地〓に〓平和〓をもたらすため〓ではない。
剣〓を〓投ずる〓ため〓に〓来〓た〓のだ。(マタイによる福音書 10:34)

その後も不穏なことばが続く。実際の意味は聖職者によっていろいろと言われているようだ。私はキリスト教信者ではないのでこれ以上の突っ込みは控えるが、キリストがこのようなことを言っていたことは興味深い。

そういえば、Matthew's Passion を「マシューの情熱」と訳した本があったという噂を聞いたが、うわさに過ぎなかったのだろうか。「マシューの情熱」というキーワードで Duckduckgo に検索させたら、いくつかは「マタイ受難曲」のページにヒットしたし、まさにこの誤訳を指摘したページも複数見つかった。

私が大学生のとき、あるドイツ語の授業はバッハの「マタイ受難曲」を購読するものだった。音楽が関係するからうれしいと思っていたが、さぼり癖がついたさなかだったため結局最初の1回しか授業に出なかった。なんとももったいなかった。授業には出なかったが、代わりに中古のマタイ受難曲のレコードを買って何度も聴いたので、教官の意図は汲んでいたのではないか。試験対策として、日本語訳はそのレコードの解説についていた対訳で凌いだ覚えがある。

[ことば]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット